78回目:パクリとイノベーションの関連性に対する個人的な見解


























既存の人気ネットビジネスを摸倣して、国際展開する―。そんな"違法コピー"まがいの起業術で、成功し続けるツワモノがいる。

有望そうなネットビジネスを見つけては、それを摸倣したサイトを立ち上げ、世界展開して儲ける――そんな"違法コピー"もどきのビジネスモデルを、続々と成功させている人物がいる。それが、ドイツのベルリンを本拠として活動する、ザンバー3兄弟だ。


ケルンで企業弁護士をする両親に育てられたマルク(41)、オリバー(39)、アレクザンダー(36)の3人は、1998年にそろって渡米。シリコンバレーのさまざまなIT企業でインターンとして働き、ビジネスアイディアの見つけかたや、資金収集術など、起業のノウハウを学んだという。

そして99年に帰国すると、ザンバー兄弟はウェブオークションサイト「Alando」を立ち上げる。Alandoは、そのビジネスモデルからサイトデザインにいたるまでeBayのパクリのようなものだったが、すぐにドイツ国内で人気を獲得。なんと4ヵ月後には本家eBayによって5300万ドル(当時の為替で約63億6000万円)で買収され、彼らはドイツ初のネット長者になった。

その後は07年にロケット・インターネット社を設立。現在は、同社を通じて起業や投資活動を積極的に行っており、その企業価値は時価10億ドルと見られている。

これまでにザンバー兄弟がコピーしたネットビジネスは、じつに100件以上。その、シリコンバレーの"イノベーション精神"の対極をいくビジネスモデルには、もちろん批判も多く、ときには裁判沙汰になることさえある。

だが、ザンバー兄弟のやりかたを賞賛し、彼らから学ぼうとする大手企業も存在する。たとえば、共同購入型クーポンサイトのグルーポンがそうだ。

ザンバー兄弟が10年1月に立ち上げたグルーポンのコピーサイト「CityDeal」は、わずか5ヵ月間で欧州13ヵ国に進出。グルーポンは勝ち目の薄い法廷闘争をしかける代わりに、自社の株式14%を投じてCityDealを買収。そして、マルクとオリバーをグルーポンのコンサルタントとして雇い、46ヵ国への国際展開を成功させた。

ブルームバーグ・ビジネスウィークグルーポンのアンドリュー・メイソンCEOは次のように述べ、彼らの実力に太鼓判を押している。

アイディアを出すのは簡単だが、それをビジネスにするのは難しい。ザンバー兄弟は、まさに超人的だよ」オリジナル企業とコピー企業。

トレンドが急速に変化するIT業界では、両者はできるだけ敵対せず、協力しあうほうが、互いに最大の成功を摑めるのかもしれない。


僕のパクリに対する個人的な見解























単刀直入に言うと「いいと思います。」

皆さん、こう考えてください。そもそも、人類の歴史から「パクリ」という行為を違法化するような法律や諸権利を除去したら我々は今頃、100、200年も科学技術の進んだ近未来的な暮らしを送っているのではないのでしょうか?俗に言われる「商標権」、「知的財産権」や「特許」というのは人類の進化を遅らせている諸要因であり、これらは人類全体にとっての不利益な要素である。

よって、「パクリ」は正当化されてもいいのではないかと思います。

しかしながら国家単位で見ると、これらの「パクリ」という行為を違法化するような法律や諸権利というのは国益の確保や国益拡大につながるので、国家にとっては無くてはならないのモノになっている。これは、同様に企業や個人においても同じことが言えるのである。※そもそも、人間というのは「私利私欲かつ身勝手」な生き物であり、「人間の集合体」である企業というのはもっと...

ここまでが、僕の「何故パクリは反感を買うか」についての個人的な見解です。そして、続きましては「パクリとイノベーション」の関連性について、述べたいと思います。


「パクリとイノベーションには関連性がある。」

このブログで取り上げている「IT業界」だけおいても、スティーブ・ジョブズ、ビル・ゲイツや孫正義をはじめとする多くのイノベーターは「盗人」であった。スティーブ・ジョブズの有名な「優れた芸術家は模倣するが、偉大な芸術家は盗む」という引用があるぐらいだ。また、孫正義もタイムマシン経営をしたに過ぎないのである。だとすると、なぜ彼らは成功したのか?それはーー「彼らは単にパクっただけではないからである.」

彼らが優れているところは「何か既存の製品をパクり、それを商品化する」ことや「何かアディアをパクり、それを具現化する」のではなく、その上にいずれも「何か」を付け加えたり、いろいろなモノをパクり、それらをうまい具合にコネクトさせているのである。

つまり、パクリとイノベーションには関連性があるだが、「だた単に物事の表面だけをパクってしまうと、俗に"イノベーション"と言われるような劇的な変化は起こらない」と思う。

日本とか、どうしたらいいの?



「パクっちゃえば、いいんじゃないかな?」

日本における若者の「パクリ」に対する嫌悪感や軽蔑の背景には、「ゆとり教育」の影があると思う。日本やアメリカをはじめとする先進国においては「パクリがよろしくない」と思われているのは「先進国だから何かを無から生み出し、世界をリードして行かなきゃいけない」と考えがちなのではないでしょうか?しかし、それは不可能である。なぜなら、我々は日常生活において「パクる」という行為を怠ったことはないからである。そもそも、良い意味で言われている「学習」という行為を言い換えると「パクリ」にあたるのではないでしょうか?また、教育というのは高額な教育費を払って、「パクリ」をしている。しかし、我々はそれを「学び」と呼ぶ。※この点においては日本の義務教育に感謝すべきと思う。我々は今日も、明日も、また明後日も何かを「パクる」であろう。だったら、素直に「何かをパクってしまえばいい.」そして、それらを土台に何かを付け加えたり、うまい具合に何かをコネクトさせたりすればいい。※同様に企業や国家において同じことが言えるのではないでしょうか?

もし、違った「パクリ」に対する見解をお持ちでしたら、ぜひコメントしていただいて、意見を聞かせて頂けると有りがたいです。